大宮エリーさんの突然の訃報に、驚きと悲しみの声が広がっています。
大宮エリーさんは、作家・脚本家・映画監督・画家とマルチに活躍していた才能あふれる存在でした。
突然の訃報の原因は病気とのことでしたが、一体何の病気だったのでしょうか。
本記事では、大宮エリーさんの死因や病気の真相、最近の活動や体調、SNSでの発信について詳しく調べてみました。
大宮エリーの死因や病気は何?

公式発表からわかった死因について
2025年4月27日、大宮エリーさんの公式サイトで、彼女が4月23日に病気のため亡くなったことが発表されました。
大宮エリーさんはまだ49歳と、亡くなるにはあまりにも早い年齢ですよね。
発表された内容では具体的な病名には触れず、「病気のため逝去」とだけ記載されています。
大宮エリー(享年49)が、2025年4月23日、病気のため逝去いたしました
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/0e2f87084e21af06b0c1f865c82b039465fe096dから引用
昨年から体調不良であったことを訴えていましたが、最近まで精力的に活動していただけに、突然の訃報に驚かれた方も多かったですよね。

何の病気?
現時点では、大宮エリーさんの家族や事務所から病名の公表はされていません。
本人や遺族の意向を尊重して、非公表となった可能性が高いと思われます。
しかしながら、突然の訃報であることや、49歳という早すぎる年齢のため、死因や病気は何だったのかとても気になりますよね。
病気の詳細が伏せられていることで、ファンの間ではさまざまな憶測も広がっていますが、故人と家族の意向を尊重することが大切です。
体調不良を示唆していた過去の発言
大宮エリーさんのSNSでは、2024年12月に開催した個展終了後の投稿で「体調も万全ではなかった」と記しており、不安を抱えながらも活動を続けていたことが伺えます。
実はあまり体調も万全ではなかったので、不安がありましたが、襖絵を24枚、朝日焼も20体近く、展示できました。
引用元:https://x.com/tsubu_ellie/status/1866361666105127319から引用
さらに、インタビューなどでも「無理をしているかもしれないけれど、それでも表現を止めたくない」と語っていて、自身の表現活動への情熱が強く感じられました。
亡くなる直前まで精力的に 大宮エリーの最近の動き

個展や展覧会の開催実績
2024年には京都市内のお寺でふすま絵の展覧会を開催。
襖絵24枚を制作するなど、画家としてもエネルギッシュな活動を展開していました。
この展覧会では、自然や生命をテーマにしたダイナミックな作品群が高く評価され、地元メディアでも大きく取り上げられました。
また、地方都市での巡回展も計画されていたといい、芸術活動のさらなる広がりが期待されていました。
出版・エッセー活動の様子

今年2月には、対談集『東大ふたり同窓会』(朝日新聞出版)を発売。
さまざまな業界の第一線で活躍する東大卒業生たちとの対話を通じ、人生観や仕事論について深く語り合う内容が話題を呼びました。
さらにANAの機内誌『翼の王国』でのエッセー連載では、旅先での出来事や日常の小さな幸せを描写し、多くの読者に親しまれていました。
彼女の筆致は、ユーモアと優しさにあふれ、読む人の心をほっと和ませていました。SNSで発信していたメッセージまとめ
SNS(旧Twitter)では、個展終了報告や、体調への不安をにじませつつも前向きなメッセージを発信していました
たとえば、展覧会の準備に追われる中で「もっと元気だったらもっとやれるのに」という本音を漏らしつつも、「今できることを精一杯やる」と前向きに締めくくる投稿もありました。
最後のインスタライブでは、作品づくりの裏話や今後の夢を語り、ファンとの心温まる交流を続けていました。
東大薬学部卒の異色経歴

東大から電通へ 社会人時代
大阪府出身の大宮さんは、東京大学薬学部を卒業後、大手広告代理店・電通に入社。
広告コピーライター、CMプランナーとして斬新な企画を次々と生み出し、若手のホープとして注目されました。
東大薬学部出身にも関わらず、薬剤師にならずに電通に入社という異色の経歴なんて、クリエイティブな大宮エリーさんらしいですよね。
電通在籍中には、NHK『サラリーマンNEO』の脚本にも携わり、テレビ業界におけるクリエイティブの世界へと活躍の場を広げていきました。
電通退社後のフリー転向と活躍
2006年に電通を退社後、フリーランスとして独立。
個人事務所株式会社大宮エリー事務所を立ち上げました。
映画『海でのはなし。』で監督デビューを果たし、脚本・演出・監督を一手に担うスタイルで注目を集めました。
さらに、スピッツやMISIAなど人気アーティストのミュージックビデオ制作も手がけ、独自の世界観を映像で表現するクリエイターとして幅広い世代から支持を受けました。
映画・音楽・舞台・絵画 多岐にわたる活動内容
大宮エリーさんは、映像作品のみならず、演劇作品の脚本・演出にも挑戦。
独特のユーモアと人間味あふれる世界観で、観客を魅了しました。
また、文芸の分野でもエッセイ集『生きるコント』を発表し、自身の波乱万丈な人生体験をユーモラスに綴った作品は、広く共感を呼びました。
近年では絵画活動にも精力的に取り組み、個展やコラボ企画を通してアート界でも高い評価を受けていました。
世間の反応
ファンや著名人たちの追悼コメントまとめ
彼女の訃報を受け、多くの著名人やクリエイターたちがSNS上で追悼メッセージを寄せています。


アーティスト仲間や演劇界からも、彼女の才能と人柄を惜しむ声が後を絶ちませんでした。
SNS上の反応や想い
X(旧Twitter)では、「信じられない」「もっと作品を見たかった」という声が相次ぎました。
大宮エリーさんへ
この前、年賀状もらったばかりでしたよ
まさかこんな突然お別れするなんて伝えたいことまだたくさんあるから
いつかまた一緒にありがとう pic.twitter.com/UTf6YobJOb
— makiko tsukahara (@makikocafe) April 26, 2025
出典元:https://x.com/makikocafe/status/1916190228454510928から出典
ファンからは、大宮さんの人柄を懐かしむ投稿や、「エリーさんの言葉に救われた」という感謝の声も数多く見られました。
個展の来場者からは、「病気の中、あれだけの作品を作り上げたことに尊敬しかない」といった称賛の声も寄せられています。
最後に
大宮エリーさんは、その短い生涯で数えきれないほどの作品と感動を残してくれました。
亡くなった今もなお、その存在感は多くの人の心に深く刻まれています。
病気と闘いながらも、表現活動を止めることなく、最後まで自分らしく生き抜いた大宮エリーさん。
その生き方は、多くの人々に勇気と希望を与え続けています。
これからも彼女の残した作品たちを大切にし、エリーさんの想いを未来へと受け継いでいきたいですね。